上林茂暢
地域医療の側から医学・医療のあり方を追求したい―これが長い間私たちがつづけてきた活動の目的だが、その根底にある方法は臨床疫学に集約されるといってよい。
伝染病流行の原因を科学的、社会的に究明するための学問として誕生した疫学は、その後、臨床疫学全般に拡張されるなかで、疾病の予後、社会要因探求の調査の有力な方法として発展をとげてきた。水俣病、サリドマイド被害、スモンなど公害病・医原病の解明に、その社会要因探求の手法が大きな成果をあげたのは周知の事実であろう。にもかかわらず、医学研究=実証研究とのみごく狭く理解されがちなわが国の医学会では、公衆衛生など特殊な領域のものと受け止められ、必ずしも定着をみていないかもしれない。
だが、日常診療のなかから問題をつかみ出すのが臨床研究の第一歩なのは今さら言うまでもあるまい。とくに日常よく遭遇する疾病(Common
Diseases)の生活・労働の場での追跡、生活・労働環境の激変のなかで発生の予想される未知の疾病の調査で得た仮説を実証的研究者に橋わたしする事に地域での臨床研究の創造的役割がある以上、臨床疫学こそ不可欠の方法といえよう。
現に、柳原病院といえば“寝たきり老人”といわれるほどの成果を上げる原動力となった実態調査にしても、この方法論を背景にもっていた。また、全国の第一線臨床医の技術水準の向上をはかる事を技術者運動の一環ととらえ、私たちの病院の医局や薬局が中心になって「臨床医の注射と処方」をまとめあげたが、これも同じような科学技術に対する姿勢の表れである。さらに、研究会のメンバーが「病院通信」、マスコミ、出版物などを通じて、ライフサイエンス、医療経済など学際的研究の分野で積極的に発言してきたのも、医学・医療技術の社会的機能を重視したからにほかならない。
みさと健和病院のオープンにより、地域医療での新たな経験が、急速に加えられつつある。柳原病院・診療所での活動で培った伝統を稀薄にせず、むしろ持続、発展させるためにも、自らの研究方法を明確にした、臨床疫学研究所を創る事にした。技術革新に即応した病院のスケールアップを実現した今、この方法を駆使し、臨床疫学の内側に迫っていきたい。また、現代医学の課題に技術論的検討を加え、学際的協力に参画したいと思う。医療の直面する困難にひるむ事なく、また日常性に埋没しないためにも研究所が知的刺激の場になればと願っている。
- 目的
1)地域医療の場で、医学の前進に寄与できる実績の集積(予後・疫学・Common Diseases ・・・)
2)医学・医療技術の側から経済学、法学、社会学・・・・・との学際的協力に積極的に発言
- 事業
1)「通信」の発行
2)「紀要」に発行(第2期計画以降)
3)研究会の組織、調整
4)共同研究のプロジェクトを組織
5)国内・国際交流の仕事
- 人員
1)所長 上林茂暢
2)健和会医師および関連職種の参加
3)外部については新2期計画以降
- 資金
1)刊行物の印税
2)健和会の補助
3)研究会の会場費
- 施設
1)事務局は柳原病院におく(連絡は医局内田まで)
2)研究会は柳原・みさと健和病院を活用
3)研究集会レベルはみさと健和病院で。大規模の研究集会の場合は公共施設も考慮。
柳原・みさと健和病院通信 1984.7.2 No.63 掲載
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